20110121 第三回 「寛流学林」

高橋寛治さんを講師に迎え、飯田下伊那地方の行政職員が中心となって開催している勉強会も3回目。
名称も「寛流学林」と勝手に決めさせてもらい、今夜も15名が集まり、共同体の原理について学ぶ。

1回目は自由には前提があるということ。
2回目は国家という基盤の成り立ち。
今までの講義のデータはこちらから

その中で、「思想や理念」の時代から、経済や市場原理的な思想に変わり、下記のような3つの問題点が生まれてきている。
1)イデオロギーから貨幣中心の思想
情報は全て二次情報であり、中産・中流という意識が植え付けられてきた。
2)あらゆるものが換金される時代
産業革命も予想しなかった時代へ。お金がお金を生む時代。
3)欧米文化の浸透
合理的、市場主義の広がり。

◎合理的思考と公務員
「合理的な理解とは効率的ではあるが、深い理解(精神の最深部からの理解)ではない。」
寛治さんは「公務員とは合理的である必要はない。」と付け加えた。
<参考図書>
『忘れられた日本人』宮本常一
日本の自治の原点は、村寄合にある。ここにはロジカルシンキングやフレームワークでは通用しない共同体としての意思決定について見ることが出来る。

◎仕事とは?
本来の仕事(労働)とは、「仕事を通じて自分の技を高めて、同時に人間としても高めていく」こと。稼ぎと仕事は別の物だった。
「稼ぎ」≠「仕事」=「人間としての自己創造」
現在は、この式が崩れている。
※おそらく農業に関しても「今は農業従事者はいるが、百姓(百の技を持つ者)が少なくなった」という、以前僕がどこかで聞いた言葉と同じことなのでしょう。

連続性で考えること
例えば身近な家族、家庭という単位で考えると…
家には三世代住むことは普通。また、家自身も100年すみ続けることは当たり前だった。
しかし、今はこれを個に分裂する仕組みが横行→核家族、夫婦別姓、住基カード
コミュニティの再生についても、横の軸だけで考えない。縦軸で時空・歴史(先祖〜未来の子供たち)を考える

これからの地域づくりのために僕たち公務員がしなければならない2つのこと
1)「それぞれ人間は個であるが『公』を考えることが出来る人を増やすこと
そのためには公務員は、「小さい市民」のことを考える。
<参考>
小田 実(おだ まこと) 
「大きい市民」 権力を持っている人
「小さい市民」 権力を持っていない人
デモクラシーとは「小さい市民」のためにある。
(柳田邦男が言った「常民」とは「小さい市民」、「農民」のこと。地主ではない。)
公務員とは「大きい市民」であり、 公務員の発言力は影響力大きい。また、小さい市民になることはできないだからこそ、小さい市民の視点に近づき、考えること。
飯田下伊那には、このようになるための言葉がある。
「公民館主事(のよう)になりなさい」
本来の公民館活動、また公民館主事の仕事とは「地域課題を教育的・学習的に解決すること」。現状の公民館活動とは、趣味の活動や講座の開催や維持になってしまっているのではないか
また、寛治さんが公民館主事時代に感じたことは「住民の方々のほうが公務員より、よっぽど物事を深いところで考えている」こと。
(公務員は自分のために自分の考えのほうへ、話しや解決方法を進めてしまう危険性がある。)

2)未来を明らかにすること
今は未来が見えないことへの不安は大きい。ただし、長い年月がたっても変わらない普遍的なことがある。基本は人が集まり安心して住むことが出来る町を作ること。


◎農業振興・産業振興について
・農業とは集落営農(集落複合経営)が基本。そのため、ここにはマネジメントが必要になる。
・ただし、安心して安全に暮らせるむらづくりが基本。公務員の仕事は、ここにある
・農業の「生産力」と「生産の基礎力」は反比例の状態。市場原理が入ったことで、農業の生産力はアップしたが、生産の基礎力はダウン・・・
生産の基礎力とは「土地の力」「生物の多様性」「人間の主体性(作ることの喜び、誇り、生き甲斐、自信・・・)
こういうものが、失われた。
・最近、「都市と農村の交流」がクローズアップされているが、これは「観光」ではない、「農業振興」である。
・企業誘致とは、あくまでも「地元企業の活性化」であり、外の企業を潤すことではない。

◎共同体について
・共同体においては、よそ者が排除される歴史があった。
・その閉鎖的と呼ばれてきた共同体が、今、崩壊している。
・ここから再生の道筋を考える必要があり、ここに新しい価値が生まれる可能性がある。

◎公務員時代の仕事について
・常に住む所の「誇り」、「自信」を共に育てる、守る、学ぶという視点で仕事をしてきた。しかもこれはハードではなく、ソフト」が勝負だと考えている。
・最近の行政経営は、「選択と集中」というが、基本はダウンサイジングと考えている。これは、内部や外部の環境変化を見ればわかること(人口減少やそれに伴う税収減、扶助費のアップなど)。
行政は「経済から外れること」が基本経済活動は民間などに任せればよい。
・「できっこない」と言った時点で、負け。できっこない、といわれることをやるのが公務員だからこそ、「身分が保障されている」のではないのか?
・仕事では、それぞれの分野において、そのことについて何でも相談できる「鏡となるような人(住民)」を見つけることが大切。高橋さん自身も多くの住民の方(農業、商業などの従事者)から、多くのことを相談し、学んだ。
・常に「未来ありき」で仕事を考えること過去の延長線上に未来は無い。

<メモ>
「住民起点」で考えるとは?

住民起点とは、住民の立場になって考える、ということ。ただし、公務員として染まってしまった人にとっては難しい・・・
でも、よーく考えたら、あっという間にその第一歩を踏み出す方法を、僕、見つけちゃいました。
それは、「他の部署の仕事に口を出すこと」
住民のみなさんは、「総務」「産業」「建設」などという区分で「まちづくり」を考えていません。そんな区分で考えているのは「役場職員」だけなのです。
だからこそ、今すぐできることは、他の部署の仕事に口を出すこと」なのです。

高橋さんの講義を受けながらこんなことを考えていたら、いつもUstreamを通じて一緒に講義を受けてくれている関西地方の友人(あえてこう呼びます!)から、こんなつぶやきが・・・
「また、"自分の課の分野だけを考えるのではなく、どの課にいても自分の仕事の中で皆が望むものを分野に関係なく実現する意識が必要"との言葉に勇気づけられた。」

同じ気持ちは、同じ想いで仕事をしている人には、伝わるもの。

下記は一部分ですが、当日の講義の様子。音が小さくてすみません!

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