※一部、修正。
富本銭
7/16日まで、高森町の歴史民俗資料館「時の駅」にて、「富本銭」の特別展が開催されていた。息子を連れて「時の駅」へ。実は「富本銭」は「和同開珎」に替わる日本最古の貨幣として、今の子どもたちの教科書には記載されている。東日本で3つしか発見されていないうちの一つが、この高森町で発見されたのだ。ちなみに、見つけたのは農家のおばあさんなのだが、奈良で富本銭が出た!と新聞等で報道された時に「確か、これにそっくりなものを以前畑で見つけて、町の資料館へ渡したなあ」と急に思い出し、それを聞いた当時の資料館長が、真っ青になりながらその富本銭を探したという裏話もある。富本銭
高森町から出土した富本銭について
本学神社
高森町にある本学神社には国学の四大人(「しうし」と読みます」)、本居宣長、平田篤胤、荷田春満、賀茂真淵のそれぞれの家宝が祀られており、それが今では資料館に展示されている。飯田下伊那では江戸末期に国学を学ぶ人が多く、先人たちのご尽力により、このような家宝を4家から頂き、この高森町に祀ることができたのだ。(このような四大人の家宝が祀られている神社は日本に高森町だけ。四大人が祀られている神社は、もう一つ静岡県に。)
今では、本学神社は合格祈願の神社として、受験シーズンには学生らが合格祈願に訪れる。
ここで、いわゆる歴史好きは「●●年に誰々がこういうことを行い、それをああして、こうして…」と話が続く。さらに「それは俺が調査したんだ」と言い出し、自分の名前で本を出すことに生きがいを感じている人も多くいる。
そして「歴史を後世に伝えていく」ということを多くの方はこういう史実を伝えていくことだと思っている。それはそれで重要なことだが、僕は少し違う見方で「歴史に学ぶ意味」を考えている。
歴史に学ぶということ
実は僕が一番好きな場所は、この資料館のメインである本学神社の社宝が展示されているコーナーの「横」。これは、「版木」。この版木は門人たちの名簿を作成するための版木だが、この奥には、同様に版木を使って作ったと思われる、いわゆる「教科書」も展示されている。
僕がここに来ていつも思うのは、「これを作った人たちは『自分たちの知恵と力』で、『自分たちで版木を作り教科書を作り』、それを配布して国学を広めようと尽力をつくされた。」
そこには富や名声を求める姿はない。
だが、今はどうだろう?
「どこがお金を出すんだ」
「出したからどういう利益があるんだ」
「お金は企業が出してくれるだろう」
「お金は行政が出すべきだ、出して欲しい」…
だけど、僕はここに来ると、
「自分で出来ることからやろう」
「派手なことをやりたいんじゃない、地味でもいいから少しでも前へ進もう」
と自分への戒めの気持ちも含めて、気持ちが新しくなる。もっと言えば、ここに来ることで自分を正しい方向へ直そうとする力が働くように感じる。
そして、こういう気持ちや行動力を持った高森町を守りつなげていこう、また違った方向に進まないように常に立ち戻ろう、と自分を省みる。
提案するだけ、文句を言うだけならば、誰でもできる。本当に必要なのは、それをカタチにする力だし、僕たちの仕事はそういう仲間をたくさんつなげていくことが本質のような気がします。僕もまだまだ未熟です。
「歴史から学ぶ」ということ、そして「僕たちが未来へ伝えていかなくてはいけないこと」は、史実以上にこういうことなんじゃないかって思う。
以前のTweetより
昔はこういうこと呟いてますね。生意気な!今日のBOOK
本日の写真
飯田市美術博物館で開催されている恐竜展へ。-- iPadから送信
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