TAKARTが行った市田柿の皮むき体験の意義

前回のブログで、高森町を盛り上げる若手有志の会「TAKART」が「たかもりふるさと祭り」の際に特産品である市田柿の皮むき体験&つるしブースを開催したことは書いた。
実は、平成18年に「市田柿の風景を守る会」という組織が立ち上がり、国交省のホームページでも紹介されている。

このレポートを読み替えしてみると、異業種(行政、JA+商工会、農家、そして会員)間から生まれた素晴らしい活動であるが、実は継続できていなかった。
その主な課題は、作業を農家の方々にお願いした事がある。現状では、普通に軒先に吊るした市田柿は出荷することができない。地域ブランドとして登録されたことにより厳しくなったのだ。僕も市田柿を製造するためのチェックリストを手に入れたが、とても大変(また、このようなチェックを全部クリアすることを考えると、とても今までのような個人の農家で市田柿を作っていくことは無理だと思う。このようなことも市田柿の生産者が減っていく理由となっていると思う。)農家の方々には、この市田柿の最も忙しい時期に「風景用の柿」「出荷用の柿」の両方を剥くことは、負担になってしまったのだ(このことは、この会のメンバーの方もおっしゃっていた。)

そういう意味では、今回のTAKARTで開催した「市田柿の皮むき&つるし体験ブース」は、「人が集まる場所で、その人達に体験させる」ことで、その課題をクリアしていることはとても大きい。そしてニーズもあることもわかった。また、今回は実現できなかったが、皮むきが終わった柿を吊るす場所も、いくつか候補地があり、しかも手応えがあった。
TAKARTの場合は、あくまでも高森という町の中で何が課題で、そのために何を行い、盛り上げることができるか?を「楽しく」考えているので、必ずしも「市田柿の風景を残す」ことだけを目的とした集まりではない。メンバーも建築、土木、税理士、農家、行政職員、サラリーマン、自営業と全くのバラバラ。だからこそ柔軟な発想が生まれていくる。

今回のふるさと祭りでの企画を振り返った時に、ある意味ではこれからの活動のヒントがたくさんあるなあ、と感じている。

僕たちが住む南信州の特産品の市田柿は実は高森町が発祥の里。旧村の名称「市田村」が、その起源となる。
実は先週の土曜日、仕事の関係で南信州に古くから伝わる「元旦の朝に市田柿を食べる風習について」調べてみた。
調べてみると、僕の両親が子どもの時代から
1)市田柿、2)落花生(豆)、3)栗の3点セットを、元旦の朝一番に朝茶と一緒に食べる。

いわゆる「歯固め」の儀式として行われるのですが、
1)市田柿・・・「かき」。福を「かき」集める、「かき」取るという意味
2)落花生(豆)・・・「まめ」。信州の方言で「元気」という意味
3)栗・・・「くり」。「くりくり」も元気という意味、また「かち栗」(※「かち」とは臼等で皮をむいた栗のこと)から転じて「勝ち」栗。
このように3点セットを食べることは、みんな縁起物で意味があり、「まめでくりくり、福をかきとる」という言葉があるくらい。
同じ長野県でも、北信や東信ではこのような風習がないとのこと。このように調べていくと、後世に残していかなくてはならない風習というものは、まだまだ沢山あるなあ、と思う。

ちなみに、「市田柿」は種が無いと言われているが、時々、種が入っているものがある。聞いた話だが、ある市田柿を扱う企業が「種が入っているじゃないか!」というクレームをお客様から受け、担当者が「お客様、それは『当たり』なんですよ!種を3つ集めて弊社へ送って頂ければ、さらに1パック送りますよ!」と対応したとのこと。本当にそうしたかどうかは不明ですが。

実際、種が入っているとその数だけ福がアップすると、僕の両親は祖父母から教わってきたとの事。実際、母親の友人は、子どもたちが市田柿を食べた時に種が入っていると、お年玉を+1,000円して渡すそうです・・・うらやましい。

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