「協働」という考え方


協働(コラボレーション)という言葉が使われるようになって久しい。
一時は、行政関係の書籍や雑誌には目がチカチカするくらい、この「協働」という言葉が使われていた。
しかしながら、この「協働」と言う言葉が最近では影を潜めている。「財政的に厳しくなった行政が、市民に仕事を押し付けてきた、これを単に綺麗な『協働』という言葉で表現しているんだ!」という意見も聞く。
今年、自治基本条例を制定した北海道ニセコ町では、定期的な見直しの中で、条例の条目から「協働」という言葉が消えたとのこと。コラボレーション、パートナーシップ・・・最近では横文字も飛び交うようになったが、この言葉の裏にある本当の意味はどうなのだろう?

◆自助、共助、互助、公助、協働という区分、考え方の限界
今までは、自分で出来ることは自分で(自助)
自助でできないところは隣近所や地域、自治組織、民間等で(共助・互助)
自助・共助・互助でもできなく、役場がやらなくてはいけないところは役場がしっかり(公助)
そして、役場と住民がやるところは協働・・・

 でも、この考え方は(特に協働という言葉は)役場による範囲分けや「支援」という「上から目線」が生まれてくる・・・

僕自身の考え方は、
「対等の立場で、お互いの特長(長所、得意なところ)を活かしながら、課題解決等を行うこと。」
個人個人の強み、自治組織の強み、企業の強み、行政の強みを活かし補完しながら、ピラミッド型ではなく、各々が課題の種別やステークスホルダーとしての立ち位置によって、円の中心になったり、その円の囲む一つの媒体になったり・・・このような多様な形で連携することなのではないだろうか?と思うのです。

 そのためには、行政職員は地域経営のプロとして常日頃から研鑽し
・できることは「やりましょう!」、
・できないこと、やっていはいけないことは「できない」、をはっきり言えることが必要なのではないか?と思うのです。

 また行政ならではの情報やネットワーク、そして信用などを最大限に活かすことは、個人や民間企業などではできない分野。またつねに仲間と一緒に学ぶ、という姿勢が重要で、このような場を作り出すことが行政が得意とし、またやらなくてはならないことだと考えるのです。
 なぜなら、学習や教育などは「効率化」や「経済」という仕組みで考えると、利益には結びつかないから。だからこそ、この分野は行政が入り込まなくてはならない、と思うのです。

 ちなみに、阿智村の岡庭村長は
「『協働』とは住民と住民のつながりによるもので、役場はそれを支援する立場にすぎない」と、おっしゃっています。

 僕は少し違います。「支援」ではなく、「共に行動する」「共に学ぶ」という考えです。行動する、学ぶ、という姿・形はそれぞれの立場によって(表面的には)違ってくるはず。でも「共に」という点を、僕は強調したいのです。

みなさんは、どう思いますか?

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