『看取りの自治』という考え方


World Cafe: 20140703地方自治研究長野県大会






以前のブログでも紹介しました『看取りの自治』というレポート。気になった部分を引用して、ちょっと感想を。

今までの国と町村の関係「垂直的行政統制モデル」


国が企画する数多くの事業メニューを受け入れざるを得ず、財政的な依存度はきわめて高かった。こうした事態を観察するならば、通説的見解と村松岐夫が命名した「垂直的行政統制モデル」が妥当するように思われる。
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「相互依存モデル」

こうした国・自治体間関係は、通常、地方が国に企画立案(政策アイデア)や法的権限・財源を依存し、国が地方に執行を依存するという(村松岐夫が主張する)「相互依存モデル」で説明される。
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「水平的政治競争モデル」、「土木国家」、「利益誘導政治」

他の自治体との競争や自治体内の選挙という競争のなかで政治的な主体として現れる点で、「水平的政治競争モデル」で説明される。また、政策・事業の性質からは「土木国家」ともいわれ、政治体制の在り方からは「利益誘導政治」とも呼ばれてきた。
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自治体が自主性を発揮すればするほど中央統制が強化されるという自縄自縛の集権的構造のメカニズム!?

「垂直的行政統制モデル」と「相互依存モデル」とは、本来相対立する相互排他的な分析視角ではない。
垂直的な行政統制の構造があるがゆえに、自治体側は、「自態の構想のもと」自らの自主的なイニシアティブによって国への陳情を「意慾的に」に行う。
垂直的行政統制がなければ、国に陳情する意味はない。そのときには、むしろ、自治体の自主性は国に対しては放射されず、地域内での内発的政策遂行に向かうからである。自治体から国に垂直上方に放射された自主性は、「全国的にも稀」な政策・事業により「いつも他町村に一歩前進」(村長施政方針)を目指す自治体間の政治的な水平的競争を通じて発揮され、自らの自治体に誘致する。その際の自治体側の交渉資源は、国が自治体に事業執行を依存しているという垂直的行政統制という構造そのものである。そして、陳情の成功は、新たな国の事業・施策を生み出し、それが自治体に対して垂直下方に放射されることで、さらに垂直的な行政統制の構造を強化していく。
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赤木須留喜は、これを中央のパターナリズムと地方のエゴイズムの対応関係として捉え、サディズム的 マゾヒズム的支配=従属関係と命名している[赤木、1978 :19 ]。
赤木は単純に「垂直的行政統制モデル」のみを分析していたのではない。
赤木の概念規定は、国・自治体間の相互依存関係において、自治体が自主性を発揮すればするほど中央統制が強化されるという自縄自縛の集権的構造のメカニズムを端的に表現している。
「相互依存モデル」は、集権的構造の均衡メカニズムを説明するモデルとして機能するのである。
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「相互依存モデル」<相互依存モデル>

集権的構造の均衡メカニズムを包含した相互依存モデルを<相互依存モデル>と括弧付で示し、「垂直的行政統制モデル」に対比される狭い意味で用いる場合には「相互依存モデル」と表記する。
図式的に表現すれば、<相互依存モデル>=「垂直的行政統制モデル」+「相互依存モデル」、となる。そして、通説的見解では、こうした<相互依存モデル>の状態を、集権体制と自治体の真の自律性のなさとして理解してきたのである。
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「長期段階的撤退モデル」

「長期段階的撤退モデル」とは、長期的趨勢として不可避的に人口流出などの過疎に直面した基礎的自治体が、地域住民の生活の確保に責任をもって対処するときの、自治運営の1つのモデルである。
「長期段階的撤退モデル」は、<相互依存モデル>では説明しにくい、過疎地に特有の政策課題に基礎的自治体がどのように対処してきたかということを射程に入れている。つまり、地域の長期的衰退は、自治運営の結果ではなく、環境与件としているという点で、<相互依存モデル>とは前提条件が異なっている。
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「相互依存モデル」の二律背反視点の限界

「相互依存モデル」を提唱した村松岐夫によれば、「相互依存モデル」における自治には「自律性」と「活動量(行政水準)」の2つの要素があるとする。すなわち、自律性とは「自ら判断をして一定の行為を起こし、結果についての情報を得てこれによって判断の誤りを修正することができる力」であり、活動量とは「住民の欲する政策及び執行が可能な権限その他の資源」である。そして、活動量は中央政府が握っているため、自治体が活動量(行政水準)を確保しようとすると、行政統制・財政統制が働き自律性が損なわれてしまう。だが、自律性を重んじれば、住民が求めるサービスを確保することは難しくなってしまう[村松、1985:26-29 ]。このように、村松は、自治の要素である自律性と活動量は二律背反(ゼロサム)の関係にあるのだから、戦後日本において伝統的な自治観であった自治=自律性という概念は、福祉国家体制では変容が求められるとしている。
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国から補助金を引っ張ってくる職員が出来る職員?力量?それが自治?

「相互依存モデル」の自治観では、自治体の自治性を、実質的には国からの資源獲得能力による活動量と同義に捉えている。「相互依存モデル」も認めるように、自治体が財源面で国に依存しているということは、自治体の財源の多くが補助金や地方交付税といった移転財源で占められていることを意味する。
こうした財源が中心だと、自治体は、住民の税負担を増すことなしに依存財源が得られる限度いっぱいまで行政機能=活動量を拡大することができる。
西尾勝が指摘しているように、自治体は自己の財政能力の範囲内で財政収支を均衡させる責任から免れることで、これを巧みにできるだけ多く獲得してくることが自治体関係者の力量であるかのごとくみなされるようになってしまう[西尾、1990:435]。こうした自治体の行動を、果たして自治的と呼べるのかという疑問である(54)
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「地域活性化」の裏側で

しばしば、「地域活性化」に取り組んで、自治体や地域住民に「痛みに耐える頑張り」を奨励し、結果として、さらに事態を悪化させるという意図せざる結果を招くこともある。「地域活性化言説」は、そのようなときに、「成功事例」を引証して「失敗」を当該自治体に帰責するだけに留まり、地域住民の生活に関しては無責任なのである。しかし、地域住民の生活に責任を負う基礎的自治体は、「失敗」を「自責」するだけでは問題解決にはならない。そのようなときに、「長期段階的撤退モデル」に直ちに転進するか、依然として、さらなる「痛みに耐える頑張り」を強要する「地域活性化策」を悪循環的に再強化するか、あるいは、合併後への布石のない「寄らば大樹」的な合併によって全く自治運営を放棄するか、基礎的自治体は選択を迫られるのである。
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モデル名は撤退でありながら、今後ますます拡大していく「長期段階的撤退モデル」

少なくとも、戦後日本のこれまでの自治運営には、直面した環境与件によって、「長期段階的撤退」が当てはまらない自治体も多い。しかし、21 世紀に人口減少社会に入り、過疎町村部のみならず、日本全国の基礎的自治体の多くは過疎化に向かう。その意味では、「長期段階的撤退モデル」の射程は、モデル名は撤退でありながら、今後ますます拡大していくのである。
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感想

書いてあることはわかるんです。でも、やっぱりちょっと違和感。このレポートが間違っているとかではなくて、事実として、そしてモデルとしてはわかるんですけど…
 一つに「相互依存モデル」<相互依存モデル>「長期段階的撤退モデル」の3つを、このようなカタチで並列!?に取り上げて議論できるものなのか?という点とか…
 「相互依存モデル」<相互依存モデル>は国と地方のインターフェースというかパワーバランスで捉えているものだと思いますし、そこに「長期段階的撤退モデル」というものが出てくると、なんとなく「いきなり感」が否めないんです。
 まあ「自治」という視点で見る、ということになれば、なんとなく分かるんですが…でもなんとなく読んでも整理しきれませんでした。

 また、どうしても僕の個人的な感情として、やっぱり「内発的発展」を諦めてはいけないし、それを一緒に育てていくのも、行政の仕事のような気がします。

確かにこのレポートでは、
過疎地域における基礎的自治体の責任ある自治運営の在り方とは、地域空間における居住前線の長期的な縮小と撤退において、その速度を調節しつつ住民生活を維持するという、殿を務めることである(7)。そこでは、地域社会の生き残りをかけて、「内発的発展」や「地域活性化」のために「頑張る」必要はない。
<相互依存モデル>も「内発的発展論」も、地域社会の飽くなき発展への執着を前提としてきた。しばしば、そのような地域活性化への執着が、大きなツケとして自治体や地域社会さらには住民に重くのしかかっていることも事実である(8)。
という記載があるのですが、これを強引に上から進めたのが「行政」であれば、確かに問題。でも、そこに住んでいる人の意志であれば、また話が違ってきます。


 また「コモディティ化への警鐘」という視点から考えた時、やっぱり地域には地域の個性があって、それが矜持・誇りになり、その個性や矜持・誇りが、長い目で見た時にUターン・Iターンになると思っています。
 こういう点からも、今回のレポートって、すっとお腹に落ちない部分です。

でも、やっぱり…僕の考えは甘い!?

 ただし、こういう考えも本当に人口減少や過疎という課題が深刻化している市町村では、僕の考えは「甘い理想論」なのかもしれません。下の記事を引っ張ってきた時に感じました。


新聞記事より

古い記事ですが、Evernoteを検索したら出てきました。『看取りの自治』は、僕たちの近くでも、存在することなのです。
まちをあきらめない:/6 長野県泰阜村 限界集落、支え「みとる」
毎日新聞 2013年01月07日 東京朝刊
1人暮らしのお年寄りを自宅まで迎えに行く楠田ひとみさん。「最後の1人まで支える」という村長の言葉の意味を、日々かみしめる=長野県泰阜村で、山本晋撮影
 街に住む息子がキュウリの苗を買ってきた。80過ぎの母は1人暮らしの家の玄関に置き、「いつ植えに来てくれるか」と待ちわびた。息子は来ない。母は酸素吸入のチューブを鼻から外し、苗を手に畑へ出た。
 見かねた役場職員は思った。「あの子たちにやってもらおう」
    ◇
 長野県泰阜(やすおか)村には09年から、NPO法人地球緑化センター(東京都)が派遣する「緑のふるさと協力隊」がいる。若者が過疎地に1年住み、集落を元気にするボランティア活動だ。
 楠田(くすだ)ひとみさん(32)が東京都町田市から来たのは10年春だった。村営住宅に入居し、村が支給する月5万円で生活する。ワンボックスカーで限界集落を回っては高齢者の話し相手になり、畑を共に耕す。
 リーマン・ショック後、働いていた外資系スーパーが閉店した。それまでの仕事は「契約終了」。辞めたいと思ったことはない。でも限界集落には「こんな山ん中だもんで、何にもないに」と言いながら、炊き込みご飯を作って待ってくれているお年寄りたちがいた。
 その年の暮れ。89歳の女性から相談を受けた。都会の家族に呼ばれ村を出た仲間たちに、お歳暮で地元の特産品を贈りたいという。楠田さんは市田柿(いちだがき)で作った干し柿を選び、代わりに送ってあげた。
 「ありがとなあ。こたつでお茶飲まねえか」。よそ者への警戒心からか、それまでは土間までしか上げてもらえなかった。何度も通って良かった。「わしゃここがいいで」と笑っていた。なのにまだ年が明けないうちに、1人暮らしを心配する長男に連れられ村を離れていった。
 1年の派遣期間が終わるころ、楠田さんは村を去りがたくなっていた。役場に声をかけられ、お年寄りが集うデイサロンで嘱託職員として働くことになった。慕っていた松島貞治(ていじ)村長(62)から意外な言葉を聞いたのは、このころだ。
 「なくなる集落があってもいい」
 村を元気にするために自分たちがいる。そう思ってきたのに。
 松島村長は診療所の事務長だったころ「うちで死にたいんだに」という多くの高齢者の願いを聞いた。医師と集落を回り、自宅で最期をみとった。自分の父親に聴診器をあて、鼓動が止まるのを聞いた。人の命のように、集落も永遠には続かないと思う。「限界集落に人を増やす方策は、悲しいけど今の俺にはない。できるのは最後の1人まで支え、集落をみとることだ」
    ◇
 94年に始まった協力隊事業は18年間に全国から574人が参加。うち4割超が派遣先の山村に定住した。
 楠田さんも泰阜で3度目の冬を迎えた。村が雪化粧した朝、かつて一つの集落があった山奥に足を運んだ。朽ちかけた民家の居間に20年前のカレンダーが張られていた。ここにも確かに、人の営みがあった。集落が消えていくのは仕方がないのかもしれない。でもやっぱり、悲しい。
 毎週月曜日の朝、楠田さんが働くデイサロンに91歳の女性が手押し車を頼りにやってくる。名古屋の息子に呼ばれ一度は村を離れたが、3カ月で戻ってきた。「嫁さんは優しくしてくれるんだけど、さみしくて我慢できなくなっちゃって」
 両手を広げ「会いたかったよ」と抱きつかれるたびに思う。お年寄りたちはこの村で、一日一日をかみしめるように生きている。【町田結子】=つづく

今回のブログの書き方

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『看取り責任の自治』レポート












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