20110225集落支援員制度を考える講演会


2月25日、飯田市川本喜八郎人形美術館にて、高橋寛治さんの呼びかけで「集落支援員制度を考える講演会」が開催された。高橋さんが高野町副町長時代に導入した集落支援員制度により、阿智村清内路から平床節子さんが集落支援員として、今もなお高野町の杖ケ薮という集落で支援員という制度で活躍している。

まずは高橋寛治さんより講演
●外から人を入れようと思った原点
・当時は島根県が取り組み始めていたが、地元者が支援員として活動していた。
・ただし、人口等などの調査のみで、課題解決には至らなかった(地元出身者としての弱みが出てしまったのか?)
●高野町について
・19集落中16集落が限界集落
●募集について
・日経新聞に依頼し、3面に募集している旨の記事を掲載
・他自治体では資格の有無や試験等があったが、「無資格」「レポート」「支援を望む集落の住民による面接」が試験条件であった
・500件問合せがあり、申し込みは162人。その後企画担当課にて絞り、最終的には7人となった
●集落支援員に対する疑問、批判など
・「公費を使うことは妥当なのが?」・・・(経済的な視点からみて)投資をしてリターンがあるのか?
・どうせ長続きしない、ダメになる・・・高橋さんはこう考えてしまうことにこそ、問題の本質がある、と考えていた。
●平床さんが支援に入った杖ケ薮
・7戸11人、最年少が75歳
・足腰が悪い、どこか調子が悪い、ということは当たり前だが、でもみんな元気!
・65歳以上は「老年人口」「高齢者」と分けること(高齢化率)、そして「福祉の対象者」とされること、これは実態にあっていない。この価値観こそ、どこかあっていないのではないか!?
・集落過疎の問題を、経済というものさしで測ることに、そもそもの問題がある



そして平床さんより講演
●平床さんのプロフィール
・佐世保出身、家具工場の図面製作者になったときに「なぜ日本国なのに日本材を用いないのか?」という疑問から、森林や地域というものについて考えるようになる
・2006年に緑のふるさと協力隊に参加、その関係からネットワークがつながり、当時清内路村にも移住してきた
・長野県に来たときに、アルプスを首を上げて見る、という体験をする。九州では、こんな風に山を見ることはない。

●支援員について
・最初のイメージは、地域にリーダーがいて、その人等や行政と一緒に村の活性化やUIターン支援に携われる、と考えていた。
・区長さんからは、伝統的な行事のサポート、話し相手、病院への送り迎えや食料の配達などをしてほしいと言われた。
・実際は「リーダーは不在」「村活性化ではなく生活支援」、そして「行政から何もなかった」
・行政から何もなかったことは、ある意味全て任されているという信頼感であり、また自ら仕事を見つけ創りだす、ということと考えている。
・まずは「自分が住民になること」「住民と一緒に課題を解決すること」を心がけた
・「住民が思う支援員」と「平床さんが思う支援」には大きなギャップがあり、そのために全体ワークショップと集落別ワークショップの開催を行政を通じて呼びかけ、開催した。主に役割分担や支援像についてのギャップを埋めるためだった。
・町の産業祭に産直テントを出展。集落の方々が作ったわらじやほうきなどが飛ぶように売れたが、それを集落の方々が自ら行うまでにはまだ至っていない。またこういう気持ちになってもらうのが、本当に難しい。
・TV局の取材を通じて、「杖ケ薮のファンを多くつくる」「集落支援員という仕事を知ってほしい」という気持ちでOKを出した。ただし放映後は、写った写っていないなどの不満、また高野町の伝統行事について内容が薄かったなどの不満が爆発・・・
・集落内の各戸を平等に扱うことの難しさを感じた一方で、「不必要な支援は不平等につながる」ということにも気づいた
・ただしTV放映を通じて杖ケ薮、高野町を知ってもらうキッカケができ、大阪より女性2名が支援に来てくれるようになった。
・「杖ケ薮通信」を発行し、集落住民の子どもや家族、親戚等へ情報発信を行っている。
※ブログもあり。『お大師様のむら』

●平床さんが気をつけてきたこと、そして課題など
1)あくまでも主役は住民で、支援員はリーダーになってはいけない、労働者にもなっていはいけない
2)外から人が来る、ということは単に「刺激」であり、それで地域が変わる・活性化するという「魔法」ではない
3)短期的な視点ではなく、常に長期的な支援で「継続」を考えること
4)自治ができる村を考えている。自治とは行政からも自立した「自治」。まだ自分たちが村づくりを行わなければ何も始まらない、ということに気づいていない。
5)この地域が良くなれば、日本が良くなる、という気持ちで頑張っている

●行政に対して
・提案への反応が遅い、また返事がない。再三、ワークショップの継続開催を提案したが、結局できなかった。
・支援員の採用は、集落住民の面接を通じて。対立関係になったときには、住民の人の力は必須。
・職員には異動はあるが、最低でも10年間というスパンでむらづくりは考えるべき。変えないもの、前向きに変えていくものをしっかり繋げていってほしい。

質疑応答
●中川村の議員より
Q「行政のサポートが無い原因は何か?」
A「支援員というものをそもそも共有できていない。そこから業務を委託として丸投げなどの状態になってしまう。それをうめるためにもワークショップ等の機会の重要性を投げかけたのだが・・・」
高橋寛治さんからも、「役場内でも理事者と担当(現場)にギャップがあったのは事実。大いに反省すべき点。」とのこと。
Q「モチベーションを維持するには?」
A「地域を良くする、という情熱以外なにものでもない。そこに生きがいを感じている。」
高橋さんは現在も高野町にて「まちづくり研究会」を開催しており、その学習会を通じて平床さんの支援員像がだんだん明確になってきているとのこと。

その後、松島泰阜村長からのご感想などを聞くこともできて、大変有意義な2時間だった。

そして、僕が思ったこと
●松島村長からも最後総括された時に出た言葉だが、公務員という仕事について考えさせられた。
・「この地域が変われば日本が変わる」という平床さんの「想い
・「不必要な支援は不平等」という平床さんの「言葉
・現場に出て話をして悩みを聞いて解決して信頼される、という平床さんの「行動
・外から来た視点で冷静な分析から来る住民への平床さんからの「提案
・そして外から見た視点ゆえに、中の人では気づかないその地域に眠る「宝」を見いだす平床さんの「

このような平床さんの言動や想いそして視点って、まさに「公務員」に必要なんじゃないか?ってこと。
法解釈のプロや説得の技術や財政に強いとか地元の意見をよく通してくれるとか…
今の公務員の「仕事ができる評価基準」ってこんなことで判断されることが多いけど、
基本は、平床さんが行っていることがまさに公務員として一番大切なことなのではないか?と感じた。

さあ、少しでも平床さんに近づくよう、日々精進します。

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