第1回目の中条村から始まり、長和町、駒ヶ根市、そして泰阜村へと場所を移しながら開催されている。
主催している長野県社会福祉協議会のページによると
「第4回 地域まめったいサミット開催について。本サミットは、とくに過疎化・高齢化などの課題を抱える中山間地域において、支え合い、知恵を出し合いながら誇りを持って暮らす人々の声を聞き、住み慣れた地域で自分らしく暮らす、という地域福祉の目指す姿と、それを実現できる地域づくりを考える場として開催します。」とのこと。
これは、決して「過疎の先進地 泰阜村(村社協事務局長の言葉より)」のみの問題ではなく、南信州全体の課題として考える必要があること、そして講演を行う内山節立教大学大学院教授の話が聞きたかったため、当日の午前中に電話を。快く担当者の方もOKを出して下さり、60分かけて泰阜村へ。講義をメモをいかに記す。
共同体の基礎理論―自然と人間の基層から (シリーズ 地域の再生)
posted with ヨメレバ
内山 節 農山漁村文化協会 2010-03
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・30年続いていく仕組みづくり。ただしモヤモヤするものをどう打破するか
→これを哲学的・思想的なアプローチで解決していく
→内山先生のような方をお招きする意義
内山節教授より 311震災の動き
・311震災後、愛知県を境に東西で意識の差を感じる
・ガイガーカウンターで計測すると、いろいろなところで「えっ」と思う数値が出る
・放射能汚染の許せないところは、コンクリートで固められた都会ほど雨等で自然に除染されていること。自然がいっぱいある山村部のほうが放射能は30年も残存してしまう。
人が作り出したもの
・311震災の特徴は、想定外の地震・大津波などが発生したが、昔ながらの文献を見るとなんとか復興してきた(自然が壊したものは復活することができる)が、人類が作った放射能が人類を壊している。
・阪神大震災後に、東南アジアで大地震(おそらく1996年2月17日ニューギニア島沖地震か?)。その被災した島は短期間のうちに復興し、島を挙げて被災し死亡した島民の弔いまで行ってしまった。
・等身大の手作りの生活や仕組み、そして精神的な復活も1週間程度で出来てしまった。阪神大震災は数年を要した。どちらが「先進地」なのだろうか?
・人間が作り出したものは「巨大なシステムに依存」しているという点を持つ。しかも、その巨大システム同士もそれぞれに依存している形。
・一つが駄目になると、他のものも駄目になり、全てが終わってしまう。311大震災は首都がこのようになりかけた。公共交通、情報インフラ、水道、電気、ガス…
行政の実態
・今回の震災で見えてきたものは「国はダメ」「県もダメ」「市町村もダメ」ということだった。
・緊急時の救援物資さえも「公共性の確保」という今までの市町村のルールどおり。
・義捐金も含めて(被災している住民の視点はなく)「どうやって配るか」という議論に時間を費やしていたのが実態。
・このような危機の際は、誰かが(首長など)独裁的にやるしかない。時間がたったら選挙等で判断してもらえばよいだけ。
・「危機に強い行政とは何か?」を念頭に、地域のあり方を根本的に見直す必要がある。
・復興の進捗は確実に進んでいる。特に「外部とのつながり」を持っている被災地域のグループは顕著。※大船渡(株)の話。
建築という視点から
・家も含めて何でもコンクリートで固める時代は終焉。
・また建築の世界では「自分たちの作品をつくる建築」から「コミュニティと共に歩む建築」へ変貌している。建築の原点・本質が問われている時代。
・復興も同様。どこに家を作るのか?どんな家を作るのか?ではない。そこには文学的アプローチが必要。
・文学的とは「どんな町にしたいのか」「ずっと住みたい町とはどういう町なのか」を語り合う、ということ。
・これをまとめてしまえば「復興のグランドデザイン」はすぐに完成してしまう。
欧米と日本のコミュニティ意識の違い
・また今年の冬を越せない高齢者も含んで、このグランドデザインは考えるべき。
・欧米と日本のコミュニティの違いは、欧米人は「今生きている人間」が対象だが、日本人は「亡くなった人」「自然」まで含むところ。※ご先祖様
・だからこそ欧米の自治は(本当はこっちも難しいけど)日本に比べれば簡単。なぜなら日本の場合は、発言できない「自然」「故人」も含めて議論をする必要があるから。
・だからこそ日本にとって祭祀は単なるイベントではなく、個人や自然との繋がりを持つ行事であり、自治の仕組みの中に組み込まれてきたと考えるべき。
・だからこそ、「行事」と「祭祀」がしっかり残っている地域は、大丈夫。
・日本人はこの祭祀を通じて、自分たちが生きている場所を確認することをしてきた。
・日本人には根本的にこういう考え方・歴史・血を持っている。だから今回の震災復興も決してゼロからの復興ではない。「何が残されているのか?」をしっかり考えるべき。
ただし日本も西洋の考え方へ
・なお、以前はご先祖様とは自分の家系だけではなく、その地域の先輩方まで含んでいた。
・江戸時代中期の檀家制度・位牌・過去帳・仏壇などの流れから、明治時代の天皇制導入にて完全な個人主義になってきた。
移住・定住ということ
・日本人は「定住社会」といいながら、移住する文化は昔からあった。
・定住の定義とは「○年間、ここに住んでいる」ではなく「ここにこそ自分にとって永遠の世界がある」と感じれることではないだろうか?
・今の人にとって「村で暮らす」、ということは先祖や歴史を、農地や飲む水、景観、遺跡、行事などから(血縁ではないが)感じることができる。
・ちなみに内山先生がいる群馬県上野村人口1400人のうち200人が移住者である。
今後の復興を考えるにあたって
・これからどう被災した地域を復興していくのか?地域の課題をどう解決していくのか?この2つは実は極めて似ている問題。
・これに絡めて、中山間地域や被災地は、都市部とどう関係を深めていくのか?を考え、復興・課題解決していく必要がある。
松島村長M×内山教授U
M「私たちの世代は、『都市へのコンプレックス、田舎への否定』という考えがあったが、今の若者たちはどうなのか?変わってきたと漠然と感じているのだが。」
U「確かに変わってきている。車の購入を見ても感じる。昔は買うことで自由を手に入れるという考えがあったが、今の若い子たちは『必要ならレンタカー』。個人のために購入する、という時代は終わり『誰かのために』『みんなのために』何かを購入したい!という感覚を持っている若い子たちが多くなってきた。」※片品村「ムランティア」。
むらんてぃあ通信
元渋谷ギャルが中心人物!?
U「今の若者たちは人との結びつきを求めている。中山間地域との可能性も大きい。チャンスがあれば来たいと思っている若い子たちは多いのではないか?」
U「今後は首都圏の大学などへ出張講座に行くなど、うって出て、都市部の若者とつながりを戦略的に作る必要がある。上野村でも祭祀や行事の担い手として、都市部の若者たちを公募した。」
U「どこかで(中山間地域の文化である農地のみならず、祭祀・行事などを)開放することも必要。確かに集落でできることは出来る限りやるべき。ただし、これからはこういう考え方が必要(意識改革)。」
泰阜村について考えたこと
どんな「まち」なのか?
どういう課題を抱えている「まち」なのか?
その課題を解決するためにどんなことをしている「まち」なのか?
こういう情報をどんどん出していく。ある意味泰阜村は、松島村長までもが(言い方が悪いが)広報媒体として、こういう発信を上手にしているのではないか?と感じる。その中で泰阜を理解してくれた人、ファンなどが泰阜村に集う、それが今の泰阜の原動力になっているのではないか、と感じた。
参加して得た知識をどう自分のまちに活かすか?
僕自身も今後の(広義的な)自治のあり方は、情報や風習や制度、しきたりまでもが公開されていることが前提だと感じていた。意識や価値観をどこかで変えない限りは、今のシステムは破綻する、こういうことを常々感じていた。※このあたりは、最近@miyadajin さんとも会って話をしたときに、出た話題。
特に今後の高森町を考えたときに、新しい感覚や価値観を注入する、そこから刺激されて生み出す、という意味でも、都市部や若い世代との交流を行いたい、と考えている。
僕個人は島岡御大でつながっている明治大学と何かできないか?とずっと考えている。野球部のみならず、学園祭などに参加して町のPRや特産品の販売、そして優秀な人材をハンティングしてくる「職員募集」など。やろうと思っていることは沢山ある。
そんなことを考えていたこともあり「開放」というキーワードは、僕の頭に残った。この開放とフレーズをもとに、今後のまちづくりをこれからは少し考えたいなあ、と思う。またこのあたりは、BLOGに書こうと思う。
★今日のキラーフレーズ★
「道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の異なり。戒む可し。 (西郷隆盛) 」
内山節教授より 311震災の動き
・311震災後、愛知県を境に東西で意識の差を感じる
・ガイガーカウンターで計測すると、いろいろなところで「えっ」と思う数値が出る
・放射能汚染の許せないところは、コンクリートで固められた都会ほど雨等で自然に除染されていること。自然がいっぱいある山村部のほうが放射能は30年も残存してしまう。
人が作り出したもの
・311震災の特徴は、想定外の地震・大津波などが発生したが、昔ながらの文献を見るとなんとか復興してきた(自然が壊したものは復活することができる)が、人類が作った放射能が人類を壊している。
・阪神大震災後に、東南アジアで大地震(おそらく1996年2月17日ニューギニア島沖地震か?)。その被災した島は短期間のうちに復興し、島を挙げて被災し死亡した島民の弔いまで行ってしまった。
・等身大の手作りの生活や仕組み、そして精神的な復活も1週間程度で出来てしまった。阪神大震災は数年を要した。どちらが「先進地」なのだろうか?
・人間が作り出したものは「巨大なシステムに依存」しているという点を持つ。しかも、その巨大システム同士もそれぞれに依存している形。
・一つが駄目になると、他のものも駄目になり、全てが終わってしまう。311大震災は首都がこのようになりかけた。公共交通、情報インフラ、水道、電気、ガス…
行政の実態
・今回の震災で見えてきたものは「国はダメ」「県もダメ」「市町村もダメ」ということだった。
・緊急時の救援物資さえも「公共性の確保」という今までの市町村のルールどおり。
・義捐金も含めて(被災している住民の視点はなく)「どうやって配るか」という議論に時間を費やしていたのが実態。
・このような危機の際は、誰かが(首長など)独裁的にやるしかない。時間がたったら選挙等で判断してもらえばよいだけ。
・「危機に強い行政とは何か?」を念頭に、地域のあり方を根本的に見直す必要がある。
・復興の進捗は確実に進んでいる。特に「外部とのつながり」を持っている被災地域のグループは顕著。※大船渡(株)の話。
建築という視点から
・家も含めて何でもコンクリートで固める時代は終焉。
・また建築の世界では「自分たちの作品をつくる建築」から「コミュニティと共に歩む建築」へ変貌している。建築の原点・本質が問われている時代。
・復興も同様。どこに家を作るのか?どんな家を作るのか?ではない。そこには文学的アプローチが必要。
・文学的とは「どんな町にしたいのか」「ずっと住みたい町とはどういう町なのか」を語り合う、ということ。
・これをまとめてしまえば「復興のグランドデザイン」はすぐに完成してしまう。
欧米と日本のコミュニティ意識の違い
・また今年の冬を越せない高齢者も含んで、このグランドデザインは考えるべき。
・欧米と日本のコミュニティの違いは、欧米人は「今生きている人間」が対象だが、日本人は「亡くなった人」「自然」まで含むところ。※ご先祖様
・だからこそ欧米の自治は(本当はこっちも難しいけど)日本に比べれば簡単。なぜなら日本の場合は、発言できない「自然」「故人」も含めて議論をする必要があるから。
・だからこそ日本にとって祭祀は単なるイベントではなく、個人や自然との繋がりを持つ行事であり、自治の仕組みの中に組み込まれてきたと考えるべき。
・だからこそ、「行事」と「祭祀」がしっかり残っている地域は、大丈夫。
・日本人はこの祭祀を通じて、自分たちが生きている場所を確認することをしてきた。
・日本人には根本的にこういう考え方・歴史・血を持っている。だから今回の震災復興も決してゼロからの復興ではない。「何が残されているのか?」をしっかり考えるべき。
ただし日本も西洋の考え方へ
・なお、以前はご先祖様とは自分の家系だけではなく、その地域の先輩方まで含んでいた。
・江戸時代中期の檀家制度・位牌・過去帳・仏壇などの流れから、明治時代の天皇制導入にて完全な個人主義になってきた。
移住・定住ということ
・日本人は「定住社会」といいながら、移住する文化は昔からあった。
・定住の定義とは「○年間、ここに住んでいる」ではなく「ここにこそ自分にとって永遠の世界がある」と感じれることではないだろうか?
・今の人にとって「村で暮らす」、ということは先祖や歴史を、農地や飲む水、景観、遺跡、行事などから(血縁ではないが)感じることができる。
・ちなみに内山先生がいる群馬県上野村人口1400人のうち200人が移住者である。
今後の復興を考えるにあたって
・これからどう被災した地域を復興していくのか?地域の課題をどう解決していくのか?この2つは実は極めて似ている問題。
・これに絡めて、中山間地域や被災地は、都市部とどう関係を深めていくのか?を考え、復興・課題解決していく必要がある。
松島村長M×内山教授U
M「私たちの世代は、『都市へのコンプレックス、田舎への否定』という考えがあったが、今の若者たちはどうなのか?変わってきたと漠然と感じているのだが。」
U「確かに変わってきている。車の購入を見ても感じる。昔は買うことで自由を手に入れるという考えがあったが、今の若い子たちは『必要ならレンタカー』。個人のために購入する、という時代は終わり『誰かのために』『みんなのために』何かを購入したい!という感覚を持っている若い子たちが多くなってきた。」※片品村「ムランティア」。
むらんてぃあ通信
元渋谷ギャルが中心人物!?
U「また、都心部では高齢者と若者の対立構造が目立ってきている。その原因は高齢者が権利主義でめちゃくちゃ自分勝手。」
U「バブル崩壊期の世代が30代に。今の60〜70歳代の世代は効率性の先にお金というところに価値を求めていたが、今の20〜30代は、もともと物がたくさんあってそれに囲まれて暮らす、という感覚さえもない。」U「今の若者たちは人との結びつきを求めている。中山間地域との可能性も大きい。チャンスがあれば来たいと思っている若い子たちは多いのではないか?」
U「今後は首都圏の大学などへ出張講座に行くなど、うって出て、都市部の若者とつながりを戦略的に作る必要がある。上野村でも祭祀や行事の担い手として、都市部の若者たちを公募した。」
U「どこかで(中山間地域の文化である農地のみならず、祭祀・行事などを)開放することも必要。確かに集落でできることは出来る限りやるべき。ただし、これからはこういう考え方が必要(意識改革)。」
泰阜村について考えたこと
どんな「まち」なのか?
どういう課題を抱えている「まち」なのか?
その課題を解決するためにどんなことをしている「まち」なのか?
こういう情報をどんどん出していく。ある意味泰阜村は、松島村長までもが(言い方が悪いが)広報媒体として、こういう発信を上手にしているのではないか?と感じる。その中で泰阜を理解してくれた人、ファンなどが泰阜村に集う、それが今の泰阜の原動力になっているのではないか、と感じた。
参加して得た知識をどう自分のまちに活かすか?
僕自身も今後の(広義的な)自治のあり方は、情報や風習や制度、しきたりまでもが公開されていることが前提だと感じていた。意識や価値観をどこかで変えない限りは、今のシステムは破綻する、こういうことを常々感じていた。※このあたりは、最近@miyadajin さんとも会って話をしたときに、出た話題。
特に今後の高森町を考えたときに、新しい感覚や価値観を注入する、そこから刺激されて生み出す、という意味でも、都市部や若い世代との交流を行いたい、と考えている。
僕個人は島岡御大でつながっている明治大学と何かできないか?とずっと考えている。野球部のみならず、学園祭などに参加して町のPRや特産品の販売、そして優秀な人材をハンティングしてくる「職員募集」など。やろうと思っていることは沢山ある。
そんなことを考えていたこともあり「開放」というキーワードは、僕の頭に残った。この開放とフレーズをもとに、今後のまちづくりをこれからは少し考えたいなあ、と思う。またこのあたりは、BLOGに書こうと思う。
★今日のキラーフレーズ★
「道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の異なり。戒む可し。 (西郷隆盛) 」
こういう謙虚な心で活動をしている人は、自ずと人から好かれるものです。精進、精進。
★今日のエクササイズ★
その他、ヒジ立て60秒、背筋20回!
◆今日のWEB◆
泰阜村、人口は1200人あまりの村ですが、このホームページに書いてあることが、僕は好き。こういう潔さが好き。泰阜村 - 泰阜村で暮らすためのイロハ
泰阜村 - 泰阜村地域
「泰阜村は言わば山岳地域であり、環境が大変厳しい村です。国道も通っておらず、コンビ二もありません。不便だからこそ、村では地域住民、近隣が支えあっています。それが泰阜村では当たり前なのです。
しかし、地域の付き合いは面倒くさいことばかりです。班、消防団活動、道路愛護、草刈り、飲み・・・。都会では少ない、住民との付き合いが濃くなるのです。いかがでしょうか。こんなことはやっていられないと思われたならば、泰阜村への移住はお止めください。地域の方も、移住された方もお互い嫌な思いをするでしょう。この地域の相互扶助の精神という強みは、地域の付き合いがあるからです。この付き合いによって、思いやれることを学べる場が生まれます。この付き合いによって、地域のことをより良く知ることができます。この村への移住を考えている方は、必ず地域のお付き合いをしていただくことを条件とさせていただきます。面倒くさいことほど、得るものがあります。
どうぞ、積極的に村の行事に関わってください。」
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