「ほたる太鼓」とは?
山吹区民が中心となり開催される「天伯峡ほたる祭り」。このほたる祭りのステージ発表の中に、高森北小学校の子どもたちが演じる「ほたる太鼓」という演目がある。では、どのような経緯で、北小学校の子どもたちがこの太鼓演奏を行うようになったのだろうか。当時の関係者からの聞き取りや資料(『森光』)をもとに調べてみた。
山吹の天伯峡に舞うほたるを大切にしたいという想いから、当時の山吹区長を始めとする役員の方々や自然愛護会の皆さんが中心となり保全活動を開始し、「ほたる祭り」は平成2年から開かれている。その中で、ほたるを題材にした演目が何かできないかという話になり、当時の教育長が「ほたるが舞う季節に天竜川から4つの樽が流れてきた。それを拾った子どもたちがその樽をたたくと、ほたるが舞い上がった」という伝説を創作し、そして当時公民館担当であった佐々木昌氏が中心となり結衆大地の佐々木清氏からのご指導を受けながら原型を生みだしたとのこと。これが当時の北小学校の校長先生の目にとまり、多くの先生方の理解と協力のもと、今の形になって引き継がれているのである。
この樽の使用についても「当時はお金もなく安価で手に入る樽を採用した。しかも、この時期は急に雨天になることもあり高価な太鼓を使用することは難しく、雨でも音が出る樽が最適だった」という裏話も聞くことができた。
いずれにしても、今では「ほたる太鼓」として知れ渡っているが、実は「フォー(Four:4)樽太鼓」が正式名称であるとは少し驚きであった。
「ほたる太鼓」は教育委員会や公民館の職員が考案したものではあったが、その後、各関係者が知恵を出し合い、関わり、そして姿を変えながら学校や地域住民の中へ溶け込んでいった経過を知ることができた。今年は6月16日にお祭りが開催されるが、こんな経緯を知って「ほたる太鼓」を楽しむのもいかがだろうか。
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