情報公開について考えた

 My Babyがロタウィルスで、嘔吐と下痢を繰り返している。
 こんななか、僕は飲みに出てしまった。定期的に開いている町内の人たちとの飲み会だ。職種も年齢層もバラバラ。日頃より顔を見るたびに話をしていた、ある町民の方からお誘いを受け普段は何となく高森町の未来や、こういうことをしていくべきなんじゃないか、役場ってのはこうあるべきで僕たちはこうするべきだ!などの話をいつもしてくれる。
このような話をしていると、行政の世界がいかに狭いかを感じる。ここに集まる方の職業は今本当に大変だ。まさに努力した分だけ収入があがり、怠惰な人間が稼げない。そういう世界で生きている人たちが、これだけ町の事を考えてくれるのに、本当にそのようなことを考えていかなくてはならない僕たちは何をしているのだろうか?給料は安定し、身分も安定している。なぜ、安定しているのか?このことを常に考えながら、仕事を毎日行うべきだ。
 話がそれてしまったが、この飲み会の時に情報公開について話が出た。基本的に僕の情報公開とイメージは「同一、同質」の情報を住民も役場も共有する、というイメージだ(まあ、ニセコ町の受け売りであるが)。そのためには、用語等もわかりやすく丁寧に表現して公開する必要がある。企業が株主総会を行って業務成績等を明らかにするように、税金を使っている公務員は本来もっと丁寧に住民に情報を公開する必要がある。おそらく変革が始まるきっかけである「危機感」などのきっかけもこの事がスタートのような気がするのだ。
 いくつか今年度事業に向けて、いくつかの要綱を新規作成及び改正を行ったが「公開」を「可能」とした文章表現に落ち着いている。自分の本意では「~ならない」という強制を持たせたかった。ボジティブプランにすることによって、その事業を「高位」に引き上げ、そして「平準化」させていく。自分の頭の中にはそのストーリーがあったのだが、なかなか現実は難しい。だが、「公開」が「可能」となったならば、それも前進だと思う。今まで、そのような表現をしている要綱がなかったのだから。
 少しでも、斜めでも、「前」に「上」に進んでいける仕事をしていきたい。

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