【読書メモ】逢坂誠二「当たり前のことを当たり前に」『市民自治のこれまで・これから』今井照編





《自治との出会い》
P34
◆薬剤師の夢から家の都合で公務員へ。
◆当時の役所は予想以上に硬直化。課題があるのに正面から捉えて議論しない。いくつかの手法を考えて議論していない、定形事務に関しても進歩するのは事務機器だけで、使う人間の考え方が全く変わっていない。
◆独自で通信教育や大学研究室へ。
P35
◆企画課長時代、「ふるさと創世一億円」。バラマキという批判もあるが、全国の市町村に同条件を付与し政策決定のプロセスがいかなるものかを明らかにする比較実験と思えた。
◆一億円の価値が2~3倍になる市町村もあれば、半減する市町村もあり。
◆しかも市民はそれが良いのか悪いのか評価もできない。
◆政策決定のプロセスの中でどれだけ市民が関わってくるかということで、その政策の満足度が変わってくるということがわかった。
◆その参加を強固にするものが①首長にその感性・感覚があるか、②それ以上に職員にそうした感覚や情報収集能力、新しいものに対する感受性とそれを咀嚼する力があるか、という二つ。
◆ふるさと創世でもう一つ感じたことは、中央集権の限界。画一にお金をつけていくことはできても地域の独自性に合わせたクリエイティブな仕事には中央集権的な手法は有効ではないということ。
◆小さな自治体での取り組みの集成が日本のかたちを決めていく。
◆そのことが分かって公務員の仕事や小さな自治体で働くことの意義の大きさを感じた。
◆黒澤明監督の「生きる」。まさに役所の現実を描いている。(すでに視聴済み)
P36
◆自治体学会との出会い。西尾勝教授や、恵庭市長の中島興世氏との出会い。
◆平日は仕事、週末はどこかのイベントやシンポへ参加。半年に一度は全国レベルの大会へ。これが仕事の原動力。
◆田村明著『まちづくりの発想』、法制面では『図説法制執務入門』(ぎょうせい)などが印象に残っている本。



《町長選へ》
P37
◆バブル崩壊後も、国は自治体に対して一般単独事業の大号令をかけ、その伸び率が地方財政計画を下回るときは理由書をつけろという時代。
◆日本の財政破綻が見えたときに、ものを考えたり決定する仕組みがきちんとできていないと、また職員にパワーがついていないと、町民との関係はどうなるのだろうか?地域がバラバラになってしまうのではないだろうか?という不安。
◆それに耐えうる役所づくりを早い時期から行うべきと考えていた。

《ネットワークに学ぶ》
P38
◆町長就任後は、人材への投資、情報共有、政策決定の透明化や参加の仕組みづくりを行った。反発は本当に強かった。
◆これまでの役所のやり方に慣れきった職員・町民といかにイメージを共有するかが大変苦労だった。
◆当たり前のことを当たり前にやる、予算書を見て何が書いてあるか分からない、というのでは意味がない。
◆先進地とそうでないところの差は、首長の力、そこから職員の中、市民の中にいるキーパーソンの存在。数は多くなくて良いが、思いを持って具体的に行動を起こせる人がいるかどうか。
P40
◆もう一つはネットワークを持っているかどうか。自分の地域だけに埋没していてはダメ。専門家と素人を結びつけるような人がいるかどうか。
◆自治基本条例もネットワークの賜物。木佐教授や田中孝男さん(九州大学)など。
◆注目していた自治体は熊本県小国町。町長の宮崎暢俊さん、職員の江藤訓重さん。武蔵野市の地域生活環境指標地図。
◆自治体学会で編者の今井照さんと名刺交換。その際、高橋寛治さん(飯田市、現高野町副町長)や小諸市土屋政紀さんと出逢う。

《合併問題に揺れる》
◆合併問題浮上で町長を二期目。全ての合併に反対しているわけではないが、合併政策は地域をつぶさに見る必要がある。究極はその地域の住民自治が元気になること、しかも厳しい財政規律の中で。
◆また合併問題を通じて、地域に対する愛着・誇りが失われていることが問題と感じている。
◆というものの効率性を高める点では合併も一つの選択肢として検討する必要があった。合併を前提としない法定協議会が発足したが結局自立を選択した。
◆日本全体を見ると今回の合併は市町村に打撃を与えた。合併の代償として地域の誇りを失ってしまった。最大の目的だった財政の効率化についても逆に財政悪化に拍車がかかった部分もある。
P43

《永田町・霞ヶ関と地方自治》
◆合併をふくめ、H16の交付税ショック、介護保険、障害者自立支援法、郵政民営化、年金問題など、この5,6年の間に国から出される政策はどれもトンチンカン。
◆理由は、国政の場(永田町、霞ヶ関)には国民の「生活のにおいのする情報」が全くないから。
◆日本は欧米に比べ自治と国政の連携が乏しい。日本での連携とは許認可や補助金や権限のように「分限」「分け与える」というメニューのみ。
◆自治こそが国家全体を考える上での重要な場であることが、理解されていない。
◆国の省庁のみならず政党も同様。党本部のマニフェストが地方支部に行っても説明できないという、中央・地方ねじれ減少が各党に発生。
P44
◆分権への流れで、国と地方が切り離されるイメージがあるが、まさに表裏一体の関係であり、国政が自治のかたちを規定する部分がある。だからこそ地方の生の声が国政に反映されなくてはならない。
◆欧米では、英国の連邦参議院、仏の元老院は自治体関係議員によって構成。米国、独の国のトップも自治体出身者が担うことが多い。日本は国会議員のほとんどが二世、三世で、地域の生活を全く知らない人が国政を行っている。
◆政党の中で地方自治という課題は「地方自治は現場であって、本質ではない」という考え。本来は自治の課題を中央政党が扱うメインディッシュにするべきが、今はサイドアイテムになっている。
◆今後は本当の意味での地域起源、市民起源の政治勢力が出現することが必要。※実際2010年日本創新党などが発足。
◆国会議員の世界の政策立案能力は極めて脆弱。もっと人、金などの保障が必要。
◆また霞ヶ関中心の情報非公開をなんとかするべき。総務省がICTと騒ぐなかで、いつでも情報公開できる技術はある。ニセコの予算説明書はニセコが小規模だからできるものではない。規模は関係ない。




P46
《地域の展望と職員の役割》
◆夕張問題については、国のエネルギー政策に夕張が翻弄されたということが一番大きい。九州の炭鉱はそうなっていない、という指摘があるが、九州の各地はベッドタウンや別産業の場として生き残る道があったが夕張にはそれがなかった。
◆作家佐々木譲さんによると、小樽と夕張を比較した際、小樽には重厚な歴史的建築物が残されているのに対して、夕張にはそれがなく、これは「夕張で上がった富が全て他地域に出ていってしまった、夕張は搾取されるだけの現場」という意味である。
◆長・議会・市民の責任が問われているが、国の縦割りのカネの流れ、また財源が明確でそれに対する責任を求められながら行われていれば、ここまで大量のカネが流れることもなかった。現地にしてみれば誰も責任を負わない仕組みに安住してしまった。国の責任も大きい。
◆本当に国は知らなかったのか?起債の許可は誰が出したのか?また一時借入金で粉飾とは言うが、あれほど決算統計で報告を受けていたのに本当にわからなかったのか。
P47
◆東京圏の市民や政治家からは交付税制度をはじめとした財調制度に対する厳しい意見もあるが、税の基本的な考え方が理解できていない。東京は自立しているように言うが、電気・水道・食料・空気・心の潤いは、調達できているか。お互い助け合う中で、この国は出来ている。
◆国政政治家が旗を振る道州制の中身はの多くが、銭金の問題、いかに効率的にするか、という視点。これでは道を誤る。また論者によって道州制の定義もあいまい。
◆例えば北海道なら、北海道としての基礎自治体はどうあるべきか→それが本州と違う姿・役割を持つならば広域自治体としてはどうあるべきか→道が他地域の県と違うとなった場合初めて北海道の独自性に根ざした道州制が必要。
◆道州制を語るときは、単に府県合併や広域行政という視点で使うべきではない。
◆国会議員としては現状の道州制は言葉が踊るだけで葬り去られるだろう。そう期待している。


P49
◆これからの自治体職員に対して…
①市民の中に入っていくこと。
②「この仕事は自治体がすべきかどうか?」「公共とは、公務とは、税とは、役場が果たすべき役割とは、何か」を考える事。現在の人口減少・財政難の時代は、これを純化させる良い時期。これは自治の現場でしかできないことで、職員にとってもやりがいがあるいいチャンス。
③自治こそが原点。極論すれば国が滅びようが、無政府になろうが、そこに人が集まり生活をし始めたら、程度の差こそあれ、そこに自治の活動が自然に生まれる。
④現場に真実がある。現場にこそ神が宿る。
⑤民主主義の標準装備の「公文書管理」「行財政情報管理」の仕組みづくり
これらは、自治の現場にこそ先進事例がたくさんある。これを国政との相乗効果によって真の民主主義を実現したい。
市民自治のこれまで・これから

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