『部下を持ったら必ずよむ「任せ方」の教科書』:人間(ヒト)が仕事をする理由

出張のバスの中で、この本を読んでいます。
あの、ライフネット生命の出口さんの御本です。
__
 話は変わって…そして先日は職場の「ある同期」で集まり一献。仕事の話、家族の話、子育ての話…

 仕事の話では、ヒトが仕事を行う意味を改めて考えるきっかけになりました。

 例えば知識もあり、言われたことを完璧にこなす部下がいるとします。でも町民の皆さんに対する受け応えやお話しの仕方には問題があり、コンサルからも指摘をされています。こういう場合、どうするのか?

 確かにこういう人間は組織の中での評価は高い。特に(言い方が失礼ですが)若ければ若い時ほど、この評価は高いんです。でもこのままで上司としてはいいのでしょうか?このままで良いのでしょうか?

 またある人間が僕の仕事を引き継いだとします。僕の過去の書類の不備を指摘します。でもやっていることは僕がやっているままなんです。どのようにしたらミスを再発できるのか、それはどこにも出てきません。ましてやそれを指摘すれば、自分のミスではないという始末です…こういう部下をどうするのか?

 与えられた仕事をこなすのは「ICT」と一緒。決められたことをきちんとこなす。ミスがあれば動けなくなる。そして、そこには「主体性」がない。「自分の仕事」という責任がない。だからミスをしても人のせいにしちゃうんです。

 この2人に共通することは、彼らの仕事はいずれ「ICT」にとって替われるものなんです。普段の応対でも「今年のリンゴの調子はどうです?」とアドリブを効かせて話ができる、仕事の内容でも「こういうミスが出るんだったら、次回からはGoogleカレンダーにリマインダー入れておこう」とか、自分で考えてクリエイティブに動けることが「人間がやる仕事」の意味だというのが、その同期会で話してきたことです。「あいさつがきちんとできる」「人に対して節度をもって接する」って、よーく考えたら基本です。そして僕たちの仕事は、内部で評価されても本物ではないんですよね。

 また、プライドも邪魔しますね。仕事ができる人間を示したいために、だんだん嘘や言い訳が多くなってしまう。僕もずっとありました。今でもあります。でも今はなるべく僕は「ごめん」「すみません」とすぐ謝り、また仕事でも「やり方に正解がない。誰が一番得をするのかを考えればいいなあ。」と思うようになり、少し気が楽になりました。

 だからこそ、いつも勉強しなくてはならない、たくさんの人に合わなくてはならない、多くの考え方や感じ方に触れなくてはならないんだと思います。そういう日頃の行いがどこかで現われれば嬉しいなあと感じたところです。
 出口さんは、このご本の中で人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ、とおっしゃっています。
 そして部下にはそれをどのようにして伝えていくか、任せるしか無いんですね。権限と責任を明確にして任せる。僕はなかなかこれが出来ていません。反省です。

勤倹力行」で行きたいと思います。

0 件のコメント:

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

ZenBack