都心部と農村部における自治組織(自治会・町内会)の成り立ちの違い



連続セミナー「地域創発のフロンティア」


ちょっと前の話ですが、大杉覚教授(首都大学東京・東京都教育委員)の主催する連続セミナーへ。
自分のライフワークでもあるコミュニティ、特に自治会・町内会について、日本でも有数の識者である玉野和志教授(首都大学東京:社会学)と日高昭夫教授(山梨学院大学:行政学)の講演が一緒に聞けるということで、往復8時間の日帰り強行ツアーで。




都心部と農村部における自治組織(自治会・町内会)の成り立ちの違い


都市部と農村部の自治組織を比較すると、その活動内容やはたまた会費まで、結構な違いがあることがわかります。
農村部は年間1万円近くなることもあれば、都市部では月数百円というところもあり、その作業内容も道路を作るような内容もあれば、団地の周りのゴミ拾いなどであるところもあります。

同じ、地縁組織と言っても、このように違いあるのは何故なんだろう?というのが、素朴なギモンですよね?


農村部の自治組織の成り立ち


・「結」など、共同作業を行う単位が基本だったと考えられます。※当町の場合も自治組織の前身が農家組合だった事例が見られる。
・で、その機能はいわゆる農業を中心に拡大していき、村などの単位になっていきます。

明治に入り、大都市の急激な成長、それに伴う地方からの人口流入などによって、これらの伝統的な組織の弱体化と解体が進んだが、1878年郡区町村編制法、1889年の市制町村 制の実施を経て進められた、いわゆる「明治の大合併」の影響においては、旧町村が果たしてきた機能を補完する目的から、明治末期から大正中期にかけては本格化する。
 日高によれば、明治の大合併において7万以上あった町村が1万5千台になることで大きな抵抗があり、当時の政府は苦肉の策として合併後の新「町村」の中に旧村落単位の「区」を容認、そこに「区長」を設 置するという妥協策をとったとして、今の地域自治会の「区」「区長」という仕組みの多くは、この時代の 妥協と抵抗の歴史的産物としている(日高, 2003, p. 69)。
引用:自治組織の主体的な活動に、地区別計画・地域担当職員制度・住民懇談会はどのように作用するのか~阿智村、喬木村、高森町の比較から~,2014,清水


上記のように、今の自治組織の前身は、行政組織だったことがわかります。ですから、税金のような機能を持った「区費」などの徴収があり、また持っている機能も行政と重複する部分が多々あるのですね。

都心部の自治組織は?


・玉野先生によると、都市部の自治組織はもともと商店街などの集まりが基本であり、「外部からの同業者の流入の抑制」や「流入者と事前交渉する団体」として成立したのではないか?とのこと。
・また、玉野先生は、ある文献で下記のようにも述べています。

「日本の行政は戦後も住民の組織化を自ら図ろうとしていた(中略)が、占 領軍によって明確に否定され(中略)、戦後の民主化という点でも一般の理解を得ることは むずかしいもの」であった。 ただし、この組織の復活を実現させたのが都市の自営業者たちであったと見られている。 彼らは没落しつつあった旧地主層や地方から流入し地歩を固めつつあった状態であり、行政の協力が社会的な威信の獲得であり、町内会を通じて行政と互角に対峙できるということは、社会的情報を実感する得がたい機会であり、言い換えれば「古いタイプの滅私奉公の精神」による参加だったと言えるだろう。
引用:自治組織の主体的な活動に、地区別計画・地域担当職員制度・住民懇談会はどのように作用するのか~阿智村、喬木村、高森町の比較から~,2014,清水



このとおり、先ほどの農村部と比較すると、その成り立ちの違いが見えてきます。町内会費なども都市部と全く違うのは、このようにそもそも組織の成り立ちが違うことが影響しているのではないか?と仮説を立てることができますね。

「行政の下請け組織じゃないか?」「なぜ、会費がこんなに違うんだ?」という批判や疑問も、歴史を紐解いていくと見えてくる部分があります。
 かといって、その現状を容認するのではなく、課題は課題としてきちんと認識して、次の世代のためにも解決していくことは、当たり前ですね。





















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