「ないものねだり」より「あるもの探し」



 9日、役場の前にある花壇の管理を自主的に行って下さっているボランティア団体の方々と、飯田市の北西に位置する大平という場所に行ってきた。
 この大平という地域は、もともと飯田市と木曽を結ぶ街道沿いにある地域で宿場として栄えていた。大正時代には定期バスも運行し、最盛期には75戸の集落となっていた。しかし現在はだれも住んでおらず、「せがい造り」という軒下を広く取った宿場としての機能を兼ね備えた工法で作られた無人の家が並んでる。戦後の過疎化の影響で、昭和45年に全戸集団移住を行っているのだ。今回訪れた場所は宿場より手前であったが、機会があればゆっくり歩いてみたいと思った。
 今回、ボランティア団体の方のお一人が大平出身の方で(仮にMさんとしておく)、限られた地域であるが案内をして頂いた。標高は約1,500mのところにこの集落は位置しており、冬期積雪は長野県南部では信じられないが一晩で1.5mも積もるらしい。「このあたりじゃ、梅雨に入るまではコタツが必要なんだよ。」と教えて頂いたが、あるお宅(Mさんの妹夫婦が春~夏期は飯田市内から大平に来ている)でお茶と朴葉もちを頂いたときには、本当にコタツがあった。
 山を上がっていくとそこには綺麗なシャクナゲが見れる場所もあるらしく、毎年友人たちと見に行っていることもお話して頂いた。また宿に行く途中の道路際に、沢や洞ごとに、その地域の名前が書いてある木で作った看板があったのだが、「実はこれ俺が作ったんだよ。昔の地名なんか今の人たちは知らないし伝えてもいない。こういうものが忘れられないように作ったんだ」とMさんは話してくれた。
 お話を聞けば聞くほど、この宿場には厳しく辛い歴史を抱えている事がわかるが、一方でこの宿場を保全しようと考えている団体もいる。

NPO法人 大平宿をのこす会
http://oodaira.net/


 僕たちは意外と自分の地域のこそ本当に知らないし、わかっていない。この大平宿には本当に気持ちよい緑と水と風が残っている。
僕は「昔の生活に戻れ」とは言わないし考えてもいない。が、何となく今の時代って「外」の世界の目立つものを、皆が一緒に追いかけているような気がする。昔に回帰するのではなく、現代の視点からこのような地域の「宝物」の「保全」を考えていく事が重要なんじゃないかな、と思う。

写真は大平にあるキャンプや体験学習に使われる学校跡地に咲いていたアヤメ。自然が作り出すこのような鮮やかな色は本当に不思議。

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