「授業が変わる、学びが変わる」

 「授業が変わる、学びが変わる」

先日の中学校の社会科授業の一コマ(瀬戸内の地理)。


先生が「前回まで自分の意見をロイロノート(スクール)にまとめていると思う。今日は、その意見をクラスの仲間と発表しあいながら、<同じような意見><全く違う意見>にそれぞれにまとめてみよう!はい、それじゃ立って…スタート!」と始まった。

人によってはびっくりする授業なのかもしれない。なぜって、社会の授業って先生がひたすら板書したものを説明を受けながらノートに写すってイメージがあるから。(かくいう僕も、中学と高校の地歴の教員免許、持ってますが…)

友だちの考えを聞きながら、自分の考えをまとめていく。今、こういう授業を行うことが求められている。(すでに死語かもしれないけど、「アクティブ・ラーニング」ってやつです。)

全国学テのデータによると、簡単な数式問題は回答率が高いのに、文章題や応用問題になると途端に回答率が下がるとのこと(この記事がわかりやすい)

https://www.wakuwaku-catch.net/kouen190708/

これは「公式や事柄の暗記は出来るけど、それを使うような場面になると、できなくなる」ということを表している。

そこで「仕事」を含めた、普段の生活ってのを振り返ると、いわゆる公式とかは当たり前で、それを使いこなすことが前提。

しかも「答えがない」ことがほとんどだから、今までの知識や経験を踏まえて、自分で答えを出さなきゃいけない。実は、大人でもできない人が多い。(だから、「方向性を出して下さい」「具体的な指示がないと動けません」「担当者がゴールを示してくれないと困ります」という人が増えちゃう現象が起きちゃう)

だから何が必要かって、他人の意見を知り、自分の意見を述べて、また自分で考えて調べて、それを人にわかりやすく伝えていくって経験が必要。まさに、これからの授業ってその機会をつくれるかどかってのが鍵。

実はこのことって、仕事や普段の生活も含めて、当たり前のことで。いろんな意見を知って、交わすことで最適解が現れてくるってことが多々あるんです。

まあ妥協するってこともあるのかもしれないけど、実は冷静に俯瞰してみると、それは自分のこだわりなのかもしれない。大事なのは目的は何かって振り返ることで、そうすると、実は小さな「手段」のことで揉めていることも多い。で、そこで揉めてるのは実は小さいこだわりであることが多いんです。(自分にすごい自信(根拠なし)を持っている人、逆に不安だから嘘をついて着飾っちゃう人ほど、この傾向が強いと感じます。自己顕示欲というか自己承認欲求が強すぎちゃうというか…こういう欲ってモチベーション上げるには重要なんですけど、行き過ぎちゃうと、単なる嫌われ者になっています。)


授業の中で「人、本、旅」にふれる

あの出口治明さん(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E5%8F%A3%E6%B2%BB%E6%98%8E)が、人生にとって「人、本、旅」が必須っておっしゃっているけど、これって、自分の中に沢山の意見を取り入れて、取り入れただけじゃなくてそこから答えを出すってことの機会が、まさに「人、本、旅」ってことで、これからの学校は、これを直接的に、または間接的・擬似的に、こういう機会を創るってことが必要になるってことです。


まだ、齢50歳未満ですが、でも、今までを振り返っても、人に会いに行ったり、本を読んだり、見知らぬ地を訪れることってのは、最高の経験ですよ。で、そういう経験を積むと、違いがわかるようになる。政治家なのか政治屋なのか、調べ学習なのか探求学習なのか…本物なのか、偽物なのか…中身があるのか無いのか、厚みがあるのか薄っぺらなのか…


最後は、オヂサンたちが、たくさん勉強しなきゃいけない

大人は、そういう機会をたくさん創り上げることが必要ですね。で、やはりこういう話しになると、オチは「(若い世代を輝かせるために)オヂサンたちが、もっと勉強しろ」っていう話になりますね。

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